お知らせ
2014年12月25日
祖父が二階の階段からころげ落ちたことがありました。ろっ骨にヒビは入りましたが、大事には至りませんでした。親類縁者には、心配するからと特に知らせませんでした。数週間後、おじの一人がたまたま電話してきたので、祖父のケガの次第を伝えました。すると自分も原付バイクで勤めから帰るとき、工事中とは知らず掘り返し...
2014年12月9日
昭和21年3月の上海港での陸軍曹長の話。復員船の海防艦に乗り込むため集結。その中で若い兵隊が、下士官から怒られてうつむいている。事情を聞くと「この野郎のために船に乗れない」とのこと。その兵隊の名前は「沢田茂」。乗船名簿で国民党側に知れた模様。沢田茂中将は17年まで、上海に本拠をおく13軍司令官。戦犯...
2014年11月26日
映画「生まれては見たけれど」の中に、普段ブスッとしている父親が上司の前でペコペコしているのを見て、兄弟二人が落ち込むというシーンがありました。やや似た話。親戚の結婚式の時。花婿の家の座敷をぶち抜いた会場でのこと。場が進んで余興になる。三味線の音に乗せて出てきたのは父親。浴衣に手拭いをかぶって、その端...
2014年11月11日
老人たちの話。明治38年の日本海海戦の時、彼らは10代。破裂音が聞こえたので皆んなで山に登る。雲間に稲光りがして、やや遅れてドーンという音。「始まったぞ」とみんな大興奮。新聞でロシア艦隊の接近を知っていたので、いよいよかという訳です。距離的に見ると、翌日の追撃戦のシーン。もちろん遠すぎて見えません。...
2014年11月3日
近所の若者が地元の新聞社に就職した時、「もう少しまともな職場はなかったのか」。記者が「羽織ゴロ」と言われていた時代をよぉく知っている老人1。「料亭で寿司だと…」。若い頃、造船所勤めの帰りに小腹を満たすのに、屋台の寿司を機械油臭い手でつまんでいた老人2。「彼らは高いものを買ってくれるからなぁ」。広域暴...
2014年10月24日
昭和19年に補充兵の受け取りに内地に帰ってきた陸軍軍曹の話。少し時間ができたので、街中に出てみる。ダラ~としている感じで、戦地とのギャップが。けしからんと感じる。この人、私が知っている頃は「朝日ジャーナル」や「世界」を定期購読していました。補充兵の名簿を見ると、歳のいったものばかり。あれこれ考えて歩...
2014年10月3日
この頃の大雨のニュースで、実家の水神さんを思い出しました。20㎝位のおむすび形の石をふたつ、石鉢に埋めたもの。祖父がコップの水をかざしてして拝んでいました。本人曰く、大雨の降った年に自分で山から見栄えの良い石を拾って、もとい、大八車にお乗せしてお迎えしたらしい。全くの「プライベート・ゴッド」です。夜...
2014年9月13日
「美濃部」東京、「長洲」神奈川、黒田「大阪」、畑「埼玉」など革新知事が相次いで誕生したころ、祖父と父の会話で「これらは松岡や岸と同じ連中か?」と祖父の発言。私は「保守」対「革新」の意味合いで理解していたので、何のことやらと訳が分かりませんでした。祖父は、日産コンツェルンの総帥で、満州で事業展開した鮎...
2014年8月28日
祖母が認知症の進行で入院していた時のこと。天皇陛下崩御の数日後、見舞いに行きました。一緒だった叔母たちが「天皇陛下が亡くなったよ」と言うと、「みちの宮さんはかわいそうなことだった」と答えました。その意味を叔母たちには分からなかったので、「陛下の幼名」と解説しました。皇太子殿下を「浩宮様」と言うのとや...
2014年7月23日
上海で終戦を迎えた陸軍曹長の話。公用外出の際のこと。その日は普段と異なり、通りの先や反対側で、住民が自分の足元に唾を吐いて、こちらを憎々しげに見る者がニ、三名いるのを目撃。少し不思議に思う。公務先で用件を終え、雑談中に、通信班の下士官が「明日、重要放送があると電信が来ている」とのこと。ここでピーンと...